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トマトの野生種が今でも数多く存在するペルーやエクアドルでは、紀元前1000年ごろからトマトが栽培され、インディオたちが食用にしていたといわれています。豊かな文明を気づいたアステカ人が栄えた土地、メキシコ湾を臨むベラクルス地方が起源であるという説が有力です。彼らは栽培トマトを、ナワトゥル語でTomatl(トマトゥル=膨らむ果実)と名づけ、これが今日のTomatoの語源になっています。

原種のトマトのひとつ

トマトの先祖は現在のミニトマトに近いものだったろうといわれています

1492年コロンブスが新大陸を発見して以来、トマトは幾多の戦利品とともに、ヨーロッパへ渡ることになります。新大陸の珍しい植物として、1550年ごろからイタリアで観賞用に栽培され始め、食用としてさかんに栽培されるのは、18世紀になってから。トマトの強いニオイや鮮やかな色が、食用として受け入れられるまでには約200年かかったというわけです。




人類は、その長い歴史のなかで、主として東アジアを中心にした「米文化圏」、中近東や欧米を中心にした「小麦文化圏」が形成され、独自の食文化が発達しました。
「小麦文化圏」では、小麦を粉にし、粥状にして食べていたのが、次第に、粉に水を加えて練ったものをゆでたり、焼いたりするようになり、パンや麺類・パスタなどが生まれたと考えられています。「パスタ」は、小麦粉に水を加えて練ったものという意味のラテン語に由来しています。ですから、細長いスパゲティも、穴のあいたマカロニ、貝の形をしたシェル、板状のラザニエも、み~んなパスタ。イタリアには300種類以上ものパスタがあるそうです。

スパゲッティ

ニョッキ・ダルディ


タリアッテレ
フジッリ
ペンネ・リガーテ
イタリアの麦畑。豊かな実った穂は美しい黄金色。これをイタリアの人々は「スピガドーロ(黄金の穂)」と呼んでいる

紀元前5~7世紀ごろ、現在のトスカーナ地方に栄えた古代エトルリア人の遺跡に、パスタ文化を示す壁画(綿棒・ローラーカッターなど)が描かれています。
また、グルメで知られる古代ギリシア・ローマ人たちも、パスタをスープに入れたり、胡椒やガルム(魚を発酵させた醤油のようなもの)で和えて楽しんでいたようです。
さらに、生のパスタを乾燥させて保存する工夫が生まれました。一説では、砂漠を旅するアラビアの商隊が“発案”して、シチリア島に伝わり、イタリア全土に広がっていったといわれています。
一方、東洋にも麺文化が花開きました。中国では、漢代(紀元前3世紀)に、西方から小麦と回転式の臼が伝わり、本格的に麺づくりが始まったと考えられています。パスタのふるさとはどこか、という議論において、イタリアのスパゲティは、マルコポーロが中国からもたらした、といわれていたこともありましたが、現在この説は否定されています。




現在、世界のオリーブオイルの90%以上が、スペイン、イタリアを中心とした地中海沿岸地域で生産されています。オリーブの原産地は、メソポタミアなど中近東一帯に自生していたものが、紀元前3000年ごろから古代文明のもとで栽培されるようになった、と考えられています。
ギリシア神話によれば、ギリシアにオリーブの樹がもたらされたきっかけは“オリンポスの戦い”。海の神・ポセイドンと知の女神・アテナが、アッティケの所有権をめぐって争い、最初の馬を湧き出させたポセイドンに対し、アテナはオリーブの樹を創り出す。神々の判定の結果、オリーブオイルによってもたらされる豊かな利益が認められ、アテナが勝利した。人々はアテナに感謝し、街を築き、神殿を建て、オリーブの樹を植えた…こんな神話が生まれるほど、オリーブオイルは当時から、珍重されていたのです。

オリーブの栽培は、紀元前2世紀ごろには北アフリカへ、紀元前1世紀ごろにはイタリア南部、フランス・プロバンス地方にまで広がりました。その背景には強大なローマ帝国の力があったのです。現在のスペイン南部コルドバからセビリアに至る地方が支配下におかれると、ここは帝国のための一大オリーブオイル供給地となりました。こうして、地中海を中心にしたオリーブオイル文化圏が花開いたわけです。





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